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2020年11月 1日 (日)

2月上演予定「喜劇 告白の通夜」オメオリケイジ一人芝居について①

オメオリです(^^)

今日は2月上演予定の「喜劇 告白の通夜」オメオリケイジ一人芝居についてお話したいと思います。

3月に上演を予定していたこの作品、コロナ禍で延期、再延期と今年の上演はなくなってしまいました。緊急事態宣言時は稽古も中止になったりとコロナに振り回されてしまった一年になってしまいました。でも振り返ってみると、一人芝居という難しい作品と向き合う時間を貰えた一年でもあったと思います。

ですので、オメオリ作品唯一の一人芝居「喜劇 告白の通夜」について色々とお話させて頂きたいと思います。2月上演予定なので年明けにはDMをお送りし、同封の会報「れもんのいれもん」でも色々お話するかと思いますが、前回の会報みたいに言いたいことが多すぎて字がちっちゃくなってしまいそうなので、このブログであらかじめお話ししておきます。

ブログのタイトルに①とつけたのも、多分話は長くなるであろうと①とつけておきました。

では・・・まずはどうして唯一の一人芝居なのか、なぜ一作だけなのか?という切り口からお話しますね。それは、難しいからです。一人芝居の手法は大きく分けて二つ。自分以外の見えない登場人物と相手がいるかのように演じる手法。これは相手の台詞や動作を想像させる面白さです。もう一つは多くの人物を一人で演じる手法。どちらも演じること自体とても難しく、更にお客さんに楽しんで頂けるレベルにするには至難の業です。更にこの二つの手法しかない一人芝居で表現出来る物語は限られています。わかりやすく言いますと、アクションには相手がいた方が面白そうだし、恋愛物や、謎解きの多いミステリーなんかも、やはり相手がいた方が面白そうでしょ。出来ないわけではないと思いますが「一人芝居でやるからこそ面白い」というレベルに達するには、かなりハードルが高いと思います。

つまり、一人芝居だからこそ面白いという、題材、設定、物語、でなければ、わざわざ一人芝居にする必要はないのです。ではオメオリケイジ一人芝居「喜劇 告白の通夜」はそのレベルに達しているのか?僕自身はそう思っていますが、初演時からそうだったかと聞かれると、正直そうではなかったと思います。こういうと初演から見て頂いているお客様には申し訳ないのですが、僕の正直な感想です。

オメオリケイジ一人芝居「喜劇 告白の通夜」初演は2007年の1月でした。10ヶ月で連続10話「嗚呼、トイレ殺人事件」を2006年の9月に終えた後の作品です。「10ヶ月で連続10話って何?」興味をお持ちの方もいらっしゃるかと思いますが、そういう無茶もしてたのです。昔から無茶が大好きだったので。前劇場「秋葉原ズーズーC劇場」をかまえたのも、この連続10話を上演するためでした。毎週土日に上演し、月ごとに1話、2話と連続上演する。この企画を実現するには通常の借小屋だと費用がかさみ、自前の劇場を持つ方が安く上がったのです。連続10話を終えた後も、自前の劇場の居心地の良さに味をしめて「秋葉原ズーズーC劇場」で12年、「鶯谷ズーズーC劇場」に移転し3年と、小劇団では異例の自前の劇場をかれこれ15年、持ち続けています。あ、話がそれましたね(^^;)

2007年1月の初演。この頃オメオリは芝居を初めて15年くらい、年齢は30半ば。連続10話で年間144ステージ立つなど、役者として経験や技術も備え、調子に乗りまくってた頃だと思います。一人芝居への憧れは芝居を始めた頃からありました。僕が芝居を始めた頃、イッセー尾形さんの一人芝居が評判になっていた頃で、いつかあんな一人芝居がしたいなんて思っていました。僕が芝居を始めたのは「劇団ズーズーC」ではありません。22歳の頃「演奏舞台」という劇団さんで芝居を始めました。そこに2年間在籍し、退団して「劇団ズーズーC」に入団しました。なぜ退団したのかは、真面目な芝居なので面白くなかったという気持ちもありましたが、正直言うとその劇団でオメオリの演技は評価されなかったからです。今でも評価されなかったことに僕自身は納得してませんが、芝居を初めて1年やそこらの役者ですからやっぱり下手くそだったのかな、なんて思いもあります。何より舞台を終えた意見会みたいなので、真面目な芝居しかない劇団に「僕はアマレスじゃなくて、観客が沸くプロレスがしたい」なんて生意気なこと言ってましたから評価されないのも仕方がなかったのかも知れませんね。ですから劇団ズーズーCに入ったのは24歳の頃です。お客様の多くは「劇団ズーズーC」をオメオリが創ったと思われているかと思いますが、僕が入団した時はすでに第7回公演でした。劇団ズーズーCを立ち上げたのは原健太郎氏で、ズーズーCという名は森田拳次さんという漫画家さんが「ズーズーC」という漫画を書かれており、森田さんと懇意にしていた原健太郎氏がズーズーCという名を頂いたのです。確か第2回公演まで森田さんが書いた脚本でズーズーCというキャラクターが登場する芝居を上演していたかと思います。

あ、なんか劇団創設の説明みたいになって来ましたね。では僕の話に戻りますね。1993年、24歳で「劇団ズーズーC」に入団したオメオリは主宰の原健太郎氏にすぐに評価されました。2年間真面目な芝居で評価されずにくすぶっていたオメオリは喜劇を上演する劇団ズーズーCには認められたのです。これはとても嬉しく原健太郎氏には今でも感謝しています。それから1998年、作家としてのオメオリの処女作「地球は丸いと言い出した男」までの5年間、劇団ズーズーCでコントを上演したり、共作で長編の芝居を上演したりと作家、役者としての腕を磨きました。原健太郎氏から、オメオリ&いしずかの共同主宰の形で劇団ズーズーCを引き継いだのは1995年くらいです。原健太郎氏の多忙と、劇団活動の活発化から引き継ぐことになりました。

あ!このままではいつになっても2007年の一人芝居初演の話にたどり着きませんね(^^;) でもせっかくなのでこのままオメオリケイジの歴史を続けますね。1995年に劇団ズーズーCを引き継ぎ、それからコントを書いたり、長編を共作したりと頑張っていましたが、この頃はまだお客さんが大爆笑するような芝居は作れていません。たまにコントで大うけすることはありましたが、長編はやはり難しく、正直、稚拙な作家の駄作、を上演していたと思います。ただこの時期に、駄作を上演しながらも作家としての勉強をさせて貰っていたのだろうと思います。

僕の笑いの師匠は「ダウンタウンの松本人志さん」作家としての師匠は「三谷幸喜さん」です。師匠と言っても一度もお合いしたことはなく、作品を見て勝手に学んだだけなのですが(^^;) でも劇団ズーズーCに入ってからの5年間で、作家として役者として色々と学んだと思います。そんなオメオリの蓄えた力が炸裂したのが1998年の処女作「地球は丸いと言い出した男」です!それまで笑いはとれても高い評価は貰えていませんでしたが、この作品で初めて「多くのお客さんに楽しんで貰えている」と実感出来たのを覚えています。高い評価も頂けました・・・・

ああ!やっぱりこのままではいつになっても一人芝居の話にたどり着けない!でもここまで書いたらしょうがないので、このまま続けます!

そして、あまりに長くなったので今日はこの辺にしておきますね。続きは②でお楽しみください。一週間以内には②を書きますね。

ではでは、今日はこれにて失礼いたします~m(_ _)m

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コメント

なるほど!
普段話さない内容、長文が気にならないくらい面白かったです!
②も楽しみにしてます。

投稿: もんなチャンス | 2020年11月 3日 (火) 07時03分

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